「拠点」は地域を救うか

NHK「四国羅針盤」(四国4県で放送)に出演してきました。
徳島放送局からの依頼だったのですが、近場でお声かかった、というのではなくM大学O先生に相談にいった担当者がO先生から「四国なら田口がいるでしょ!」と言われたそうで、お声がかかりました。
テレビのスタジオにお呼びいただくのは昨年のNHK名古屋の「金とく」以来です。相変わらずテレビ収録は緊張です。。
ということはさておき。。。

テーマは「町が消える…“拠点”は暮らしを守れるか」というもの。
安倍内閣の地方創生の一環で国交省が「小さな拠点」についての支援を進めています。
今回はそれで地域は存続できるのか、というのがテーマです。

いろいろとNHKの人と打ち合わせをしたりするときに気になったことが、ここでいう「地域」の単位です。
VTRなどで取り扱われる“拠点”は平成の大合併前の自治体規模での物理的な拠点も含めたものであって、私の感覚からすれば、支所に行政窓口以外の機能を集約したもの、という印象でした。
つまり、中心視に吸い取られてしまう生活基盤を合併前自治体規模でなんとか保持しようという考え方です。
VTRにもありましたが、これは経済的な発想がベースにあると思われます。つまり、中山間などの経済的に効率的でないと言われる地域でのサービスを集約することで共倒れを防ぐ、という意味合いが強いです。
まぁこれ自体は、ある程度の効率化は必要かと思っています。
しかし、これで「地域を守る」とまで言ってしまうとかなり語弊があるかと思います。

というのも私の感覚で守るべき「地域」というと「集落での暮らし」をイメージします。
拠点整備として機能を集約するとどうしても「集約される側」が気になってしまいます。
特に過疎高齢化の進む中山間地域の集落ではこれまでの長い歴史の中で様々な機能が効率化の名の下で集約され、なくなっていきました。これは心の空洞化を生み出しています。

一方で、集落での暮らしは続くわけです。
経済合理性という理由で住んでいる人の意思を無視して集約は出来ません。
そう考えると物理的な「拠点」も大事ですが、より暮らしに近いところでの「心の拠り所」としての「拠点性」が重要かと思います。こうした拠り所に人は集い、語らい、お互いを助けあうわけで、それがなくなると途端に寂しさが増す、というわけです。
そう考えると合併前自治体規模での拠点制作を進めるのであれば、同時並行的に集落レベルでの「拠点性のある場」づくりだ同時に検討される必要があるのですが、そこまで言及しきれていません。にも関わらず、それがスバラシイと進めていくことには違和感が有りますね。

そこで、今年4月に見学させていただいた佐賀県唐津市厳木地区の「イドスク(井戸端スクリーン商店)」をご紹介させていただいたところ、スタッフはじめに大ヒット。というわけで、番組中でも画像(私のiPhoneに入っていたもの。。。)を出して紹介させていただきました。
また、「集約される側」への言及についても番組の最後でさせていただきました。

もう1点重要なのが、この取組みを誰が主導するか、ということです。
行政が主導してしまうとどうしても住民側は受け身になってしまいます。結果として、一部の不便を強いられている人のみが利用することでますます採算が悪化していく可能性があります。
重要なのは「地域」が主導することで、拠点を維持することの重要性と維持するための自覚を持つことが重要かと思います。これは沖縄の共同売店に「共同売店で買いましょう!」という張り紙を見つけた時に強く感じたものです。

地域を維持していくための施設、その施設が残る/残らないは地域住民の考え方次第で大きく変わるわけです。
地域住民が主導し、企画し、運営することで、自覚を促し維持するための行動を引き出すことでしょう。

と思ったことを綴ってみました。