宮城/復興支援員の活動

新潟・中越地震からの地域復興の取り組みの中で特徴として言われているのが、「地域復興支援員」の存在です。
中山間地域に暮らす人々は日々の暮らしの中で様々な知恵や技術を習得しているため、その復興支援も単純な事業支援ではなくて、人々のやる気を引き出すことが主たる目的となります。
そのため、支援員は地域住民との丁寧な対話の中から住民がもつ「小さなやる気」を見つけ出し、それを後押しすることで、住民の主体性を引き出していく必要があります。
というのも、これまでの「復興」というとどうしても「早期復興」に向けて行政がどんどん後押ししていましたが、中山間地域の暮らしは住民自治が極めて重要です。
というのも、過疎高齢化から公共サービスが低下していく中では、住民による相互支援をベースとした住民自治の再生が極めて重要です。そこに行政があれもこれもサービスしてしまうと、そのサービスが終わった後、なにも残らなくなってしまいます。
そのためにも、住民のやる気や誇りを再生しながら活力を生み出し、最終的に地域の住民自治を再び取り戻していくことが重要です。
新潟県中越地域では被災により人口が大幅に減りつつも、住民によるたくましい集落復興の事例がたくさん生まれています。
中越地震からの復興まちづくりにおける「地域復興支援員」の取組みについては近刊予定の「中越地震から3800日 −復興しない地域はない−」(ぎょうせい/2015年3月出版予定)に詳しく示しています。

このような経験を基に、東日本大震災被災地でもいち早い段階から「復興支援員」が設置され、多数の支援者が活動しています。私は、時々おじゃましながら彼らの振返りのサポートなどをしています。
中越地域で地域復興支援員が配置されたのは被災から3年が経った2007年11月から。ちょうと大半の帰村が完了した時期になります。つまり、仮設住宅から村に戻り、再び村の再建を始める段階で導入された、ということです。それに対して東北の復興支援員は未だ帰村の目処の立っていな状況下でその活動を開始している分、非常に難しい部分が多くあります。

とはいえ、一人ひとりの支援員が悩みながら活動を続けており、その手助けば少しでも出来れば、と思っています。

tohoku