中越地震10周年

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2014年10月23日は2004年の同日に発生した新潟県中越地震から10周年にあたります。
2006年から長岡に住み、翌年7月に職場のあった柏崎市を震源として中越沖地震が発生したことが私と震災復興との関わりの始まりです。

柏崎の復興は商店街でしたが、ちょうど中越地震被災地の集落が復旧から復興のフェーズに入っていったこともあり、中越地震の被災地にも出入りするようになりました。
今では中越沖地震は中越地震の影に隠れがちですが、そこで感じたことは「規模の大小はあれど、被災者個人にすれば被害が甚大であるということには変わりない」ということです。どうしてもマスコミや社会の目は大規模な災害に目を向けがちなのですが、私はそうはなるまいと小規模な災害への対応の重要性について認識する機会になりました。

さて今回の新潟出張は「日本災害復興学会」という学会が開催されたり各種の10周年行事にお声かけいただいたのが理由です。災害復興学会では中越地震被災地で活動する「地域復興支援員」にかかる研究発表をさせていただいたのと同時に、「集落復興に必要な視点」という分科会でコメンテーター(議論の口火を切る役割)を努めさせていただきました。

発表を聞いていた感じたことは、「状況の必然性」をどう考えるか、ということです。
つまり、災害で確かに人口は大幅に減少してしまったが、人口が流失してしまった状態が本当に大問題なのかどうか、という点です。特に漁村地域の場合は漁業から離れてしまった人達にとってもはやそこに住み続ける理由は愛着や好き/嫌いでしかなかったりします。その人達にとって災害リスクの高い地域に住み続ける理由はなくなってしまっており、結果として転出しているのです。一方で、被災地の沖合には日本でもっとも豊かな漁場があることも事実で、そこで漁業を生業とする人がいる限りそこに地域が存続し続ける必然性はある、ということです。
ですので、個人的には人口減少をしながらも集落は必然性に基づいて残る、ということで、問題なのは人口減少しつつも残った人々が寄り添ってコンパクトに暮らす、ということが(必然的であるにもかかわらず)土地所有などの問題で出来ないかもしれない、ということだと思っています。歴史的にはこういうケースでは集落自体が縮小していたのに、土地の個別所有が進んだ結果、人口が少なくて疎の状態のまま広域的に住むことでコミュニティが希薄化し、公共サービスが非効率化すると思っています。

中越などを見ていると、どの時点かはわかりませんが、人口減少を必然として受入れた上で、残った人や外部人材などで工夫しながら自治を模索していると感じます。このようなしたたかさを持ちながら復興を進めることが重要なんだろうな、と考える次第。。。